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江戸時代の初め西暦1600年ごろ、甲州から布教のため行脚してきた開山「國州天越大和尚」は、駿河の国葉梨村に庵を結び、当地で修行と布教活動を始めました。
「徳川家康」が田中城に居城した折、当地に度々鷹狩に来訪し、その度に盤脚院に立ち寄り、天越和尚と「囲碁」を楽しみました。駿河に隠居した後も、天越和尚を駿府城に招き親交を深め、以後徳川家の庇護の下に葉梨村の菩提寺として存続してきました。 そのため、この庵を碁盤の脚に因み「盤脚院」と命名したとの説もあります。
途中何度か、荒廃・疲弊の時代を繰り返してきましたが、第二次世界大戦後農地解放による寺有農地の消滅に伴い、新たに農地の開墾、お茶・蜜柑の生産により新しい寺院として地域に溶け込み、第二十一世大仙義道大和尚・現住職第二十二世丈山康夫大和尚により現在の盤脚院として発展してきたのです。
当山のご本尊さまは『聖観世音菩薩』さまと申します。 聖観世音菩薩とは… 聖観世音菩薩とは、十一面観音や千手観音といった変化観音に対して本地の観音という意味です。したがって、単に「観音」「観自在」といった場合は、この聖観音を示す場合が多いです。 「聖」は、梵語経典が観音に「聖なる」(アーリア)という形容を決まってつけることに基づいてつけられたもので、日本的な表現である。六観音の成立に伴って変化観音との区別をつける必要が出たためと考えられているが、これによって日本独特の「聖観音」という尊格が成立したともいえます。変化していないという意味で「正観音」と表記されることもあります。 ご 利 益 変化観音の相対であるのだから、全ての変化観音の利益・功徳を備えているといわれますが、一般によく言われるのは『観音経』に説かれる七難の滅除であります。 すなわち、火難・水難・風難・刀杖難・羅刹難・枷鎖難・ 怨賊難を脱し、貪瞋癡の三毒を排し、福徳知恵ある男子や端正にて人に愛敬される女児を得ることができる、といわれています。特に中国では子授けや安産の仏としても信仰されています。
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